皆さん、今日もお疲れ様です。現役内科医のさとっこ先生です。本日は久しぶりに、お医者さんの雑談にお付き合い下さい。
このブログの読者さんは”教育に関心のある・小学生のお子さんがいるパパママ”や”教育業界の関係者さん”が多いと思います。なので一見、高齢者医療は直接的には関係ないように思われるかもしれません。
ただし、人生の最終段階は人間誰しも行き着く場面であり無関係なはずがありません。もしくは、父母の介護に直面している方もいるかもしれませんよね。
今回は、高齢者医療のど真ん中で奮闘する現役医師のエッセイです。現場の感覚を実感して頂けましたら幸いです。そして何か心に刺さるものがあれば嬉しいです。
……なんか結果的に、凄くお堅い記事・語り口になってしまいました笑。気楽に読んでくださいね。
※今回に限っては、高齢者=75歳以上の方をイメージして記載しています。
はじめに…高齢者医療への風当たりは強い
大前提として、高齢者医療に対する世間の風当たりは強いです。みなさんこんな意見を目にしたことが一度はありますよね?

高齢者の延命治療は禁止しろ!

高齢者の医療費は全部自費にしろ!
80歳以上の高齢者の治療なんてするな!

高齢者の医療費せいで若者の生活が苦しいんだ!
そして、その流れでこんな意見が出てきます。

薬ばっかりだして医者は金もうけしている!

高齢者を延命させることで病院が金もうけしてる!
老人換金ビジネスだ!
それに対する私の意見のまとめは以下の通りです。
- 無理な延命治療なんてごく少数。そこを圧縮しても医療費の圧縮にはならない
- 医師はむしろ無理な延命治療を減らそうとしている
- 年齢だけでクリアカットに提供する医療の有無や内容を決めることは出来ない
では、ひとつひとつ説明させて下さい。
不要な延命治療は行われているのか?
医学的な合理性に乏しい、下手すればご本人を苦しませかねない無理な延命治療が行われる例があるのは事実でしょう。ただし、パッと思いつくのは文末で述べました①経管栄養 (特に胃瘻)、②繰り返す誤嚥性肺炎に対する入院治療、程度です。(延命治療の説明は文末にまとめました。)
私は訪問診療医として、自宅にお住いの方以外に有料老人ホームに入所中の方も診察しています。200-300人程度診察していますが、“医学的な合理性に乏しい延命治療が行われている”と断言出来る方は、ゼロ人です。
いや、正直に言うと……過去にさかのぼれば2名、『うーーん……これは…』と思ってしまうような方を引き継いだことはあります。2名とも、胃瘻の方でした。あとは、『まぁ診断は肺炎だけど……これはもう老衰でしょ……』って感じの方を病院に搬送して治療して頂いたことは何度もあります。
こういった例が経済に影響を及ぼすレベルで多いとは思えませんが、一人の医師・人間として色々と考えてはしまいます。その治療、本当に本人のためなのかな?って。
不要な延命治療を減らすよう提案します -ナッジという考え方-
皆さん、”ナッジ (nudge)”という言葉を知っていますか?元々、行動経済学の分野で提唱された考えです。直訳すると、”そっと肘でつつく”という意味です。人の行動を自然に望ましい方向へ導くイメージです。私たち医師は、その”ナッジ”という考えに基づき、医学的な妥当性に欠ける無理な延命治療をなるべく減らそうと考え行動しています。
私は過去100人以上の方を御看取りしています。その経験(エビデンスで語れないのが残念です)から、本人にとって一番良いだろうと予想される治療方針は思いつくんです。例えば肺炎を発症して状態が悪化した高齢者さんに対して、以下のように思うわけです。

この方はもう十分頑張った。治療しても苦しむ時間が延びるだけかも?天寿と考えて治療を控えても良いんじゃないかな?

もうひと頑張り出来る、この一山超えればまた素敵な時間を作ってあげられる。負担の少ない標準的な治療は受けて良いんじゃないかな?
しかし、例えば天寿として受け入れて良いと思った場面でも、

何をしてでも生かしてください
延命でもなんでもしてください
と、医学的な妥当性に欠けるようなお願いをされることがあります。親を大切に思う気持ちは当然で、そもそも医学的な知識もない方です。そういう考えが悪いとは思いません。
ただし、無理な治療が本人をかえって苦しめる可能性があることは事実です。平易な言葉で率直にお話します。気持ちに十分な共感を示したうえで、「何人も看取ってきたプロとしては、治療を控えることが本人のためになるのではと考えてしまいます」と、”肘でつつく”わけです。
大半の方は考えなおしてくれます。ただし、ごく少数ですがそれでもパワフルな治療を希望される場合があります。その時は、仮にそれが合理性に欠ける延命治療であってもその通りに話を進めます。結果、”無理な延命”になることもあるでしょうね。
そもそも私の予想・考えが絶対に正解とは限りません。それに、どうしても”医学・科学的な話”だけでなく”価値観・感情”の問題も出てきます。科学と感情は分けて考えるべきです。
では、先ほどの意見に回答しましょう。

医者はもうけるために不要な延命治療の手助けをしている!
老人換金ビジネス!!
高齢者医療のせいで若者の生活が苦しい!!

むしろ逆
不要な延命治療を減らすように”肘でつついてます”

無理な延命治療はごく少数です
なので、そこを潰しても医療経済に与える影響は微々たるものです
あなたの目的である”社会保障費の軽減”には寄与しません
本人が決めるのが理想
超高齢になると、認知機能の問題で本人には“意思決定能力”が残されていないことが大半です。本来、その能力が残されているうちにご本人に人生の最後をどう過ごしたいか確認しておくのが理想です。ただ、その問いかけが本人を傷つけてしまう(心への侵襲が大きい)こともあり、なかなか難しい問題です。
普通の治療で長生き”してしまう”
老人ホームに入所するくらい長生き出来た方。言ってみれば、ご長寿会のエリートです。皆さん本当に長生きします。ただ、普通の治療をしているだけなんです。血圧や血糖の管理、血液サラサラ系の薬の内服、程度のことを延命治療と言いますか?言いませんよね。でも、この程度の医療で長生き”してしまう”んですよ。
高齢者医療のリアルワールド
間違ったイメージ:無理な延命治療で・力技で無理やり高齢者を生かしている
真実:ごく普通の治療を行っているだけで長生きしてしまう
その”普通の治療(血圧、糖尿、等の飲み薬程度)”をすべてやめろと言えますか?
そもそも延命してももうからないで?
ちなみに、少なくとも一般勤務医はたくさん薬を処方したり、それこそ無理な延命治療を行ったとしても収入は増えませんよ。製薬メーカーからキックバックがあったりとかをイメージするのでしょうか?ナイナイ笑。むしろ、こんな考え・半ギレで診療してました。

病院の経営なんて知ったこっちゃないわ!
散々こき使いやがって!!
俺は正しいことをやるよ、利益なんて知らんがな
そもそも、病院の仕組み上、入院と退院の回転率を上げなければ病院としても利益が出ません。ずーーーっと同じ方を入院させておいても病院はもうからないんですね。
年齢でクリアカットに提供する医療の内容を決めることは合理的か?
答えは『No』です。高齢者(今回は75歳以上と定義しましょうか)はとても不均一な集団なんです。それをひとくくりにして議論なんて出来ないんですよ。あまりに雑すぎる。以下に例を挙げます。

102歳。身の回りのことは出来る、歩ける。お話も楽しめる

76歳。脳出血の後遺症で寝たきり。疎通もほぼ取れない

83歳。身の回りのことは介助が必要。食事は自分で食べることが出来る。お話も楽しめるものの、認知症があり理解力に乏しい。

86歳。認知症の進行で準寝たきりのような生活レベル。疎通は問いかけに対するyes/no程度が精一杯。にこっと笑ってくれることも多々ある。
最近、『誤嚥性肺炎も老衰の範疇だから治療しないと言う選択肢もある』という話題があり盛んに議論されています。文末の「誤嚥性肺炎」の欄を参照してください。タブー視せず、こういった議論が行われることは良いことですよね。
ではAさん、Bさんが誤嚥性肺炎を発症した場合をイメージしてみましょう。
・Aさんの誤嚥性肺炎は102歳だからもう治療しない
・Bさんの誤嚥性肺炎は76歳だから治療する
とはならないのは直感的に理解して頂けるかと思います。90-100歳でも元気な方、たくさんいますよ。

高齢者の治療方針はその方々ごとに慎重に検討されるべきです
年齢でクリアカットに治療の有無や内容を決めるなんてもってのほかです。
まとめ
以上、現役の内科医・訪問診療医が高齢者医療について思うことについて率直にお話させて頂きました。特に「無理な延命治療で医者が金もうけしている!」、「高齢者の治療なんてするな(○○歳以上になったら治療するな)!」という過激な意見に対しては、明確に反対させて頂きました。
確かに高齢になり、認知機能・身体的な能力が衰えて。いっつも同じことばかり言って。排泄も自分で出来なくなり……バカにしたくなるような気持ちも分からんでもありません。
でもさ、仕事、恋、子育て……人生の荒波を生き抜いての今の姿・人生の最終段階なんですよ。一人一人に人生が・ストーリーがある。そんな高齢者を大切に扱わないような態度は許せないんですよ。

昨今の世代を分断するような?
高齢者をバカにするような風潮に怒ってます。
うーん、なんだか”良い子ちゃんの模範解答”みたいな記事になってしまいました。
そりゃね、私だってもう少し裏の顔を出して?言いたいことはありますよ。長くなってしまったので、それはまた次の機会に……。アンサーソングをお届けします笑
以下、おまけとして延命治療について説明しました。あまり面白い記事ではないので読み飛ばしてくれて結構です。ただし、真面目に今回のテーマについて議論するのであれば避けては通れないので、その場合はじっくり読んで頂けますと嬉しいです。
おまけ:延命治療の定義
“高齢者に対する医療”について議論する際に必ずと言ってよいほど“延命治療”というワードが出てきます。恐らく、『寝たきりで疎通も取れない方(一般の方が言う”植物状態”に近いイメージ)の寿命を無理な延命治療で強引に数年単位で引き延ばす』ような状態をイメージしているのですよね?
以下、いわゆる”延命治療”について説明しました。ただし普遍的な意味ではなく、広義/狭義は常にあります。「今回の記事の中ではこう考えるよ」ということですのでご注意下さい。そこを間違うと議論がかみ合わなくなります。
※医療関係者さんからみると、曖昧/いい加減な表現だと感じる部分があるかもしれません。今回は一般の方の分かりやすさ重視で記載しています。
侵襲的な挿管・人工呼吸器管理(いわゆる”人工呼吸器”)
肺炎、心不全等で病院に運ばれて来ました。抗生剤の点滴(肺炎治療)、利尿剤による水分管理(心不全治療)、等で改善する可能性があります。ただし、すでに肺や心臓は限界で時間稼ぎが必要です。そのような時に行うのがいわゆる”人工呼吸器”です。回復までの”つなぎ”、”橋渡し(ブリッジ)”という表現が分かりやすいかと。
一般的に”延命治療”に含まれることが多いですね。”高齢者の延命治療”と聞いたときに、一般の方は人工呼吸器をイメージすることが多いのではないでしょうか。
『看護roo!』 より引用
しかし、人工呼吸器管理が数年単位で行われる高齢者はそう多くありません。というのも、時間稼ぎの間に元を断つ治療(=肺炎や心不全の治療)が奏功しなければ亡くなってしまいます。もしくは無事回復して呼吸器から離脱するか。呼吸器から離脱出来ず、イラストのようなイメージ(気管切開されています)で数年長期戦、なんてパターンはまれなんですね。なので、“高齢者の延命治療”とは本質が異なる事象です。
心肺蘇生措置(いわゆる”心臓マッサージ”)
心臓は血液を全身に循環させるポンプです。心肺停止してしまった方の循環を維持するため、心臓を体表から圧迫することで強制的にポンプとして拍動させるようなイメージです。”止まった心臓を再び動き出すよう刺激している”のではありません。
『看護roo!』 より引用
心肺蘇生を行った結果、”中途半端に助かってしまい”(良くない表現ですいません)、そのあと意識不明・寝たきりで長期戦になる……となると、結果的には”高齢者に対する無理な延命治療”となってしまいますでしょうか。ただし、それは結果論です。そもそも正直、治療の甲斐なく亡くなってしまうことが多いです。そういった方が医療経済を逼迫するほど沢山はおりません。なので、今回の議論には当てはまりません。
老衰に近い食欲低下に対する点滴
老衰として自然に死を迎える際、必然的に食事量は低下し飲まず食わずの状態になります。その際、「点滴してください」とお願いされることは多々あります。終末期に点滴で水分を補給することの是非について明確なエビデンスはありません。いくつかの後方視的な研究があるだけです。
むくみが増強したり痰が増えたりといったデメリットもあるので、私個人としてはオススメはしていません。ただしご家族の強い希望があれば気持ちを全否定はせずにお付き合いすることはあります。(”科学”だけでは語れません、”感情”の問題もありそれを無視することは出来ません。)
「むくみや痰の量に注意しつつ少量だけ、毒性が目立ってきたらドクターストップですよ」と予告したうえで、量も最低限とすることが多いです。
『イラストAC』 より引用
そもそも、腕の細い血管から一般的な点滴をしたところで、数日後に寿命がやってきます。なので、これも”数年単位で寿命を引き延ばす無理な延命治療”ではありません。今回の議論には当てはまりません。
ちなみに、太い血管から高カロリーの点滴(中心静脈栄養)を実施している老衰間近の方は、さすがに1名も見たことがありません。あまりに医学的に妥当性を欠くので、いくら希望されても医師が応じないからでしょう。
経管栄養(特に胃瘻)
私が”高齢者の無理な延命治療”と聞いてパッと思い浮かぶ事象のひとつです。食べ物をうまく飲み込めなくなった方や、口から食事ができなくなった方が対象。お腹に小さな穴を開けてチューブを通し、直接胃に栄養を入れる方法です。
研修医の頃の地域医療研修で、病院の隣の高齢者福祉施設でたくさんの胃瘻患者さんを診察しました。4人部屋すべてが寝たきりの胃瘻患者さん、ということもありました。「この方たちは本当に幸せなのだろうか?こういう治療を受けることを望んでいるのだろうか?」と考えてしましました。
医療経済を圧迫させるほどの総数がいるかというと、Noな気がしますが、今回の議論に当てはまる事象ではあるかと思います。
『イラストAC』 より引用
注意:意識があるものの、口や喉、食道等の解剖学的な問題でバイパスする必要がある方は別の話です。適切に利用出来れば胃瘻はとても心強い味方になります。『胃瘻=悪』、と決めつけないでくださいね。
繰り返す誤嚥性肺炎の治療
誤嚥性肺炎は、本来食道に入るべき唾液や食べ物、胃液などが、誤って気管や肺に入ってしまい、そこに含まれる細菌が原因で起こる肺炎のことです。特に高齢者や嚥下機能(飲み込む力)が低下した人、脳卒中や神経の病気、寝たきりの方に多くみられます。
一般的に”延命治療”のくくりで議論されることは少ない話題だと思います。しかし、これは今回の延命治療の話題に該当する可能性があります。
人生の最終段階において、食事を飲み込む力が衰えるのは必然です。その結果として誤嚥性肺炎を発症することも必然です。つまり、このタイプの肺炎は広く考えれば老衰の範疇ととらえることも出来るのです。
『誤嚥性肺炎を治療しない選択肢がある』というのは割とホットな話題です。呼吸器学会のガイドラインにも明記されていますね。
「反復する誤嚥性肺炎、疾患末期や老衰と考えられる状態」に該当する場合、「個人の意思やQOLを考慮した治療・ケア」を優先的に行うことを考慮する。
日本呼吸器学会 『成人肺炎診療ガイドライン2024』 より引用
『肺炎→入院治療→施設に戻って数週でまた肺炎→入院治療→ループ……』という事象が起こりえます。というか、実際に起こっています。
呼吸器内科医、かつ訪問診療医・緩和ケア医、としてはこれだけでブログ記事数本かけてしまう内容ですが、今回はこの辺にしておきます。
コメント